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恩師急逝す

晩秋に恩師の訃報届きけり

クマゴロー水彩画の師匠平川進一先生が急逝された。一昨日27日の午後3時、自宅で急性心不全とのことであった。数年前より体調を崩されていたのは事実であるが、こうも早く逝かれるとは・・・恐らく今年は78歳になられたのでは無いか。絵を描く気力も薄れておられたようで、今年の日本水彩展も東京西支部展にも出品はされていなかった日水100回展出品作品(2012)

先生は日本水彩画会(日水)会員で過去2度賞を取られたと聞いており、評議員も務められた。その画風は「これぞ水彩画」と言われるほどの見事な筆さばきと着彩であった。特に、街中風景と港・船の描写は他の追随を許さない画風である。柔らかいタッチで大胆さの中に繊細さがあり、生活の匂いのする絵に仕上げる上手さは天才的である。
クマゴローが10年前、ひょんな事から国立の「ひらかわ水彩教室」に顔を出し、空気の流れるままに生徒になってしまった。子供の頃から絵は苦手で、老後の趣味の選択肢には全く入っていなかったのだから世の中不思議なものだ。「私にも描けますか?」と言った瞬間に罠にはまった様なものである。その場で筆と絵の具を買わされ、早速先輩たちに混じって、モチーフの花瓶に活けられたアネモネを描く仕儀となってしまったのである。
その時の絵は未だ何処かにあると思うが、幼稚園生の方が良い絵を描くだろうと思われる程、およそ絵とは程遠いものであったような気がする。同室の先輩達はその当時既に日本水彩展に入選するレベルで、まあ月とすっぽんとはこの事の様に思う。
それから約6年後、先生の指導を何度も受けながら「朝の終着駅」と題した門司港駅の40号を描き上げ、日本水彩展に初入選を果たすことが出来た。全く思いもよらぬ出来事で、記念すべき作品である。暫く後、右肩の腱板断裂の手術を受け当分絵筆が握れなくなったのをきっかけに、教室から足が遠のいてしまった。ただ、当時から日水東京西支部に入会しており、そこの指導員をされていた先生の指導は引き続き受けていたので、依然としてクマゴローの師匠であることには変わりはない。
それ程多くの技術を教えてもらったかどうか・・・もう少し指導をして欲しかった気がする。ただ考えて見るに、絵を描くたびに何かにつけ「ああ、ここはこう言われたなあ」と先生の言葉を思いだしながら描く自分が居るので、やはり基本部分のほとんどは教わったのではないかと思う。どんなに教わっても絵には自我が出る。どうやっても先生と全く同じ絵にはならない。基本の後の応用は自分次第である。それが自分の絵というものだ。
今のクマ絵は先生の画風とはかなり離れてしまったが、基本のおさえは生きていると思う。忘れかけた事も多々ある様な気がする。もう少し長生きして、遠慮のないご指摘を頂きたかった。これも、亡くなられた後に初めて思う事であるか。
今晩はお通夜、明日が告別式である。     合掌
(Nov.29.2014)
(写真の絵は日本水彩100回記念展2012の平川先生作品) 
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(京都)「米料亭八代目儀兵衛」の思い出

つい先だって、NHK「アサイチ」を見ていた。美味しいお米の炊き方と言うのをやっていて、一軒の飯屋が紹介されていた。所は京都、八坂神社前。
その向かい側の一軒の店に行列が出来ている。「もしや」と思い眺めていたら、やっぱり思ったとおり5年程前に偶然にも入ったことのある飯屋であった。その時は夕方腹が減って適当な食事場所を探していたが、通りに面して小さなお釜が数個並んで湯気を立てている一風変わった飯屋があり、ちょっと面白いかなあくらいに思いふらりと立ち寄ったのであった。
未だ開店して1ヶ月ほどしか経ってなく、客も2組ぐらいしか居なかったと思う。ただ、若さに溢れ店主のやる気がみなぎった感じの良い飯屋で、ここはもしかしたら「当たる」かも・・・と言う予感がした。その時店長に「この店を銀座に出してください」と言った記憶がある。
それから5年、案の定銀座に進出し既に人気店になり、テレビに紹介されるほどになっていたのであった。5年前のその時、帰宅して早速ブログに載せたのを思いだし、探して再登場させることにした。以下、その時のブログ記事である。(Nov.4.2014)

ぶらり旅こだわり拾う古都の秋
母を見舞いに帰省したついでにぶらりと京都に遊んだ。レンタカーを手配し、先ずは弥勒菩薩のご尊顔を拝しに太秦広隆寺へ。国宝仏像第一号である。世にある仏像の中でどれが好きかと問われれば迷わず広隆寺弥勒菩薩と答えるであろう。仏世界のモナリザと言えば失礼かも知れないが、これほど慈愛に満ちたお顔の仏様は知らぬ。
続いて常寂光寺、祇王寺、落柿舎など嵯峨野一帯の紅葉を散策し東山の宿へ車を走らせる。人と車の多さと都人のエチケット知らずの運転にいささかイラつき、更に宿が見つからず、頭にきて知恩院横の駐車場に車をぶち込んだ。暗くなり腹も減ったので先ずは飯にすることに。ここは祇園だ、何か京都らしい食い物はあるだろう。但し、おばんざいはゴメン蒙る。
雑踏の中八坂神社向いの角をぶらついていると、ウインドウ内に10基余りの土鍋から湯気が立っている奇妙な店に気がついた。何だろうと立ち止まってガラス越しに覗いていると、若い女性が近づきパンフ片手にしきりに話しかけてくる。どうやら店の宣伝をしているらしい。「美味しいお米・・お米マイスター・・お釜をリザーブ・・」何だかさっぱり要領を得ないが兎に角入ってみることに相成った。中は真新しいカウンターに若い男前の板前と店員数名の活気溢れる雰囲気だ。これが10月4日にオープンしたばかりの「米料亭八代目儀兵衛」である。八代目儀兵衛
板前の店長が早速店の説明を始める。「最高のお米をブレンド」「お米本来の甘さを出し、最高の銀シャリを」「仕入れは5つ星お米マイスターの兄が社長をしている米問屋八代目儀兵衛から」「味噌は日本一美味しい△△の白味噌」「水は・・・」「器は・・・意匠は・・・」云々。まあそのこだわりは一通りではない。但し聞いていて少しの嫌味や煩わしさを感じないのは、このきびきびした笑顔の綺麗な店長の人柄か。何品かを注文し、ちびちびやりながら米の炊きあがるのを待つこと約20~30分。その間他の客も会話に参加してきて賑やか。驚いた事に「最初は湯布院で板前修行しました」と言う。4年程昔、NHK朝の連ドラ「風のハルカ」の舞台になった「湯の岳庵・亀の井別荘」で修行し、更に京都の某高級料亭で技を磨いたとの事。「当時の仲間からも開店祝を貰いました」と入口の胡蝶蘭に案内してくれた。我がクマ家の別荘が湯布院の夢想園近くにあることから話は更に弾む。
楽しく会話する間に飯が炊きあがった。「如何ですか?」と自信ありげな笑顔が覗き込む。ふっくらツヤツヤ!甘い!美味い!最後のおこげがパリパリしていて実に良い感じ。ちなみに生湯葉の田楽が絶品であった。開店したばかりなのだが結構固定客が付き、地元の顔役も応援してくれているらしい。広報誌にも紹介されたとか。「こだわり」が食の質にも現れていて「おもてなし」に結びついている感じがする。店長に「失礼な言い草ではあるが、このお店は早晩世に出ると思う。東京でお会いできるのを楽しみにしていますよ」と老人の率直な賛辞をのたまわった次第。
店長米職人橋本晃治(http://www.hachidaime.co.jp/workman.html)。今年の古都は紅葉こそ今一であったが、図らずもこだわりの拾い物をした。次回も又訪れたいと思うぶらり旅であった。                  (Nov.23.2009)
 

シスター渡辺和子の事

懐かしい人に出会いしアサイチ番

7月18日のNHK「あさいち」で思いもかけず懐かしい方にお目にかかった。
シスター渡辺和子(86歳)その人である。彼女は36歳と言う若さで岡山のノートルダム清心女子大学学長に就任して以来、長年にわたり学校経営に尽力され、現在は日本カソリック学校連合会理事長を務められている。著書「置かれた場所で咲きなさい」(幻冬舎)は120万部も売れたベストセラーである。
何あろうこのクマゴロー、ノートルダム修道会系の私学「明治学園」の中等部に3年間通ったのである。60年も昔の話だ。所謂『ごきげんよう』の世界であった。朝、校門をくぐってから夕方そこを出るまで、全ての挨拶は『ごきげんよう』、人に出会えば『ごきげんよう』。何度か講演を聞いて、シスター渡辺をよく知っている(つもり)。
それよりも何よりも、シスターは2・26事件で襲撃殺害された教育総監渡辺錠太郎の娘である。9歳の時事件は起こり、目の前で43発の銃弾に倒れた父を目撃した、まさに歴史の生き証人としての彼女は、カソリックに関係ない人でも良く知る歴史的事実なのである。
クマゴローが現役で勤めていた頃、社員教育の外部講師としてシスター渡辺が講演された事があった。久し振りにお目にかかれて嬉しかった。優しい口調で、無駄のない且つ要点を抑えたお話は、長年の教育者と言うだけではない何かを持っておられることを感じさせる。神に仕える身であると言うだけでなく、本質的に素晴らしく頭の切れる方だと思う。講演は10秒と狂う事なくぴしゃりと締めた。幸いにも帰りの電車でご一緒することが出来た。教育施設は幕張にあったが、シスターは吉祥寺の修道院に居られる。クマは国分寺なので約2時間程の時間はクマが独占したも同然であった。
当時は未だ60歳位では無かったろうか。背が高く色白で、美人のシスターと一緒でワクワクするような時間であった。ここぞとばかりに質問攻めにしたが、嫌な顔一つ見せずによどみなく話される印象は強烈であった。「神に仕える」などと言う匂いは微塵も出さずに、現役のクマゴローがタジタジとなる程経営感覚に長け、営業センス十分な経営者の話であった。帰ってすぐにお礼状を差し上げたが、丁寧なご返事を頂いたものだ。
何十年ぶりにテレビで見るシスター渡辺和子は、ご病気をされた事もあって14センチも背が低くなられたとの事。然しながら、86歳になって尚且聡明さとクールさとキレの良さは昔のままであったのが嬉しい。シスターの素晴らしさは、特殊な(?)世界にいるにも関わらず、感覚が現実世界にしっかりと足が着いている事だと言う気がする。どの世代の人でも、どんな環境にいる者に対してもぴったりと寄り添った対応が出来る、極めて稀有な能力の持ち主だと感じる。
あの有働由美子アナもレベルが違ってやりにくそうで笑ってしまった。
(Jul.20.2014) 

クマ道・再び

老朋友今年も再会木曽の路

春の展覧会行事の最後は日本水彩画会主催「日本水彩展」(日水展)で、6月1日から9日まで上野の東京都美術館で開催中。N4烟る木曽路(日水102回)
今年は「烟る木曽路」と題して、馬籠宿の有名なアングルから雨のビューを出品した。幸いなことに入選を果たすことが出来、一先ずホッとしている。
日水展にはここ5年間出品し続け、4勝1負となった。仲間内では期待も込めて、入賞するのでは無いかなどと言う下馬評も有ったが、自分的にはそんな筈は有り得ない言う自信(?)があった。現実はその通り。日水展で一般の部の賞は688点の入選作品中で僅か15点しかないのである。東京都からはわずか1点のみが受賞していた。
27室ある展示会場で8室に展示されたのは、まあ悪くはないと言うことであろうが、行ってみてとても受賞できる作品ではないのは一目瞭然であった。やはりレベルの髙い日水での受賞ともなると半端な事では無い。
恐らくこの先何年出品しても、日水展での「受賞」と言う栄光を受けることは先ずは無いと思う。それが順当なところだ。分不相応な望みを持つとその分失う物も多い。凡人は身の丈に応じた夢で満足しなければならないと思っている。
さて、今年も多くの友人、知人、学友達から当展を鑑賞して頂けるとの連絡を頂いたが、誠に以てありがたい事である。
クマゴローにとってはこれが一番の栄光である。
会場内外での再会を喜びたい。
              (Jun.2.2014)


 

クマ道

クマ道を一人ふうてんの旅にでる

クマゴローの春の展覧会シーズン第一陣がそろそろ終わる。
先ずは、「太平洋展」。賞状
今年で110回にもなる記念展だそうだ。クマゴローは2点入選させてもらった。木曽平沢と言う古い漆器の街並みを描いたものに、「佳作岡村賞」と言う賞を頂くことが出来た。誠に持って光栄とすべきである。全国区の中央展での受賞は初めてであり、やはり正直うれしい。ただ、作品そのものは、自分的にはイマイチと思っていたものなので、本当に受賞の価値があるのだろうか、と些か懐疑的ではある。まあ、他の出品と比較して、かろうじて隅っこに引っかかったと言うところではなかろうか、と思っている。
作品この太平洋展は日本水彩展と違って2点入賞が可能である。今年確信したことは、2点入賞する為には同系統のモチーフでなければならないと言う事だった。例えば、方や風景、此方人物あるいは静物と言う取合せでは2点の入選は無いと言う事だ。
クマの行く道(クマ道)は果てしないが、これからしばらくはある程度固定する必要がありそうだ。そう言えば太平洋展の最初の入選作品も木曽奈良井宿のモチーフであった。今年の日水展のモチーフも木曽馬込宿である。クマ道は木曽路にすべきか・・・。木曽路の絵が出てくればこれは「クマ道」。
良いかも知れない。 (May.23.2014)

 
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